日本の食文化と魚の歴史!縄文時代から続く魚食文化の深さを解説
こんにちは、明石めで鯛やの女将です🐟
「日本人は昔から魚を食べてきた」——これはよく言われることですが、「昔」がどのくらい昔なのかをご存じでしょうか。
答えは、一万年以上前。縄文時代の貝塚からは、たくさんの魚の骨が見つかっております。その中には、鯛の骨も含まれているのです。
つまり私たちは、一万年ものあいだ、同じ海から同じ魚を食べ続けてきたことになります。そう思うと、今日の食卓の一切れが少し違って見えてまいりませんか。
この記事では、縄文時代から現代まで、日本の魚食文化がどう育ってきたのかをたどってみます。そして、なぜ数ある魚の中で鯛だけが特別な地位を占めてきたのかも、あわせてお話しいたします😊
1. 縄文時代|一万年前の食卓にも、鯛がありました
日本各地に残る貝塚。縄文時代の人々が食べたものの殻や骨を捨てた場所で、言ってみれば一万年前の台所のごみ捨て場でございます。
ここから、驚くほど多様な魚の骨が見つかります。マダイ、スズキ、ボラ、サバ、マグロ、カツオ。そして貝類は数え切れないほど。
縄文時代の人々は、すでにかなり本格的な漁をしていたのです。
縄文時代の漁の道具
- 釣針 鹿の角や骨を削って作られた釣針が各地から出土しています。返しの付いたものもあり、かなり工夫されています
- 銛(もり) 大型の魚を突くための道具。先端が外れて縄でつながる仕掛けのものも
- 網のおもり 土や石で作られたおもりが見つかっており、網漁が行われていたことが分かります
- 丸木舟 木をくり抜いた舟。沖に出て漁をしていた証拠です
注目したいのは、鯛の骨が見つかっているということです。
鯛は岸からすぐ釣れる魚ではありません。ある程度の深さのある場所で、潮の流れを読んで釣るものです。それを一万年前の人々が獲っていた。相当な技術があったということでございます。
しかも貝塚からは、儀礼に使われたとみられる鯛の骨が見つかることもあるそうです。もしかすると、鯛が「特別な魚」とされる感覚は、この頃からあったのかもしれませんね🐟
2. 弥生時代|「米と魚」という組み合わせの誕生
弥生時代になりますと、大陸から稲作が伝わります。日本の食卓に、米が加わりました。
ここで、日本の食の基本形ができあがります。
ごはんと、魚。
この組み合わせが、ここから二千年以上続いていくわけです。今日の鯛めしも、お寿司も、焼き魚定食も、すべてこの延長線上にございます。
米は保存がきき、魚はたんぱく質を補う。栄養の面でも、驚くほどよくできた組み合わせです。これを偶然に見つけたのか、だんだん整っていったのか。いずれにしても、長く続いたということはそれだけ理にかなっていたということでしょう。
3. 奈良・平安時代|魚は税として都へ運ばれた
律令の時代になりますと、面白い仕組みが現れます。
地方の特産物を税として都に納める決まりがあり、海辺の地域からは魚介類が納められました。干した魚、塩漬けの魚、貝、海藻。これらが都へと運ばれていったのです。
ここで大事なのが保存の技術です。
古代の魚の保存方法
- 干す 天日に干して水分を抜く。もっとも基本的な方法です
- 塩蔵 塩に漬けて腐敗を防ぐ。海辺でなければできない方法でもあります
- なれずし 塩と米で漬け込んで発酵させる。現在の滋賀の鮒ずしなどに名残があります。これが後の「寿司」の祖先です
内陸の都にいる貴族が海の魚を食べるには、こうした技術が欠かせませんでした。「運ぶ」ことと「保存する」ことは、魚食文化の歴史そのものでもあるのですね。
この話、実は現代の私どもにもつながっております。愛媛の海で揚がった鯛を全国のお客さまの食卓にお届けできるのは、冷凍という現代の「保存技術」があるからです。千年以上前から、人は同じことに知恵を絞ってきたわけでございます😊
4. 鎌倉・室町時代|魚をさばくことが「道」になった
武家の時代になりますと、食事が儀礼と結びついてまいります。
この頃に整えられたのが本膳料理。お膳をいくつも並べ、決まった順序で出す形式です。現在の日本料理の作法の多くは、ここに原型がございます。
そしてもうひとつ、興味深いものが生まれます。包丁式(ほうちょうしき)です。
包丁式とは
烏帽子・直垂をまとった料理人が、魚に一切手を触れず、包丁と箸だけでさばいてみせる儀式です。神前で奉納されるもので、現在も神社などで行われております。
平安時代に始まり、室町時代に作法として整えられたと伝えられます。そして、ここで扱われるもっとも格の高い魚が——鯛でございます。
魚をさばくことが「技術」を超えて「道」になる。これは世界的にも珍しいことではないでしょうか。
日本人にとって魚は、ただの食材ではなく、敬意を払う対象だったのだと思います。この感覚は、今も板前さんの所作のなかに残っているように感じます🐟
5. 江戸時代|魚食文化が花開いた時代
日本の魚食文化がいちばん華やいだのは、まちがいなく江戸時代でございます。
江戸時代に生まれたもの
- 握り寿司 江戸時代後期に、江戸前の海で獲れた魚を酢飯にのせる「握り」が登場します。発酵させるなれずしから、その場で握って食べるものへ。これは大きな転換でした
- 天ぷら 屋台で揚げたての魚を食べる。今でいう手軽な外食です
- 蒲焼き うなぎの調理法が確立します
- 魚河岸 日本橋に魚市場が立ち、江戸中に魚が流通する仕組みができました
- 料理本の出版 庶民向けの料理本が数多く出版され、家庭の献立が豊かになります
特に日本橋の魚河岸は、江戸の食文化を支えた心臓部でした。早朝に船で運ばれた魚が、威勢のよい声とともに取引され、棒手振りが江戸の町を売り歩く。
この魚河岸は、のちに築地へ移ります。江戸から令和まで、同じ仕組みが続いているのですから、たいしたものでございます。
そして江戸時代、鯛は魚の中の魚とされておりました。
「腐っても鯛」ということわざがありますね。本当によいものは、傷んでもなお値打ちがあるという意味です。このことわざが成り立つのは、鯛が「よいもの」の代表だと誰もが認めていたからこそ。
庶民にとって鯛は、めったに口にできないご馳走でした。だからこそ、お祝いの日の鯛には特別な輝きがあったのです。
6. 明治から現代へ|運べる距離が変えたもの
明治以降、魚食文化を大きく変えたのは「運ぶ技術」でした。
| 時代 | 変化 |
|---|---|
| 明治 | 鉄道網の整備。海沿いの町から内陸へ、魚が速く運ばれるように |
| 大正〜昭和初期 | 製氷・冷蔵技術の普及。鮮度を保って運べる距離が伸びる |
| 戦後 | 冷凍技術と冷凍車の発達。家庭用冷蔵庫の普及 |
| 高度成長期 | 養殖技術の確立。鯛が一年中手に入るように |
| 現代 | 冷凍宅配便。全国どこへでも、翌日に届く時代に |
縄文人が丸木舟で沖に出て釣った鯛を、その日のうちに食べていた。そこから一万年経って、愛媛の海の鯛が、北海道のご家庭の食卓に届くようになりました。
「海の魚を、海から遠い人に届ける」——日本の魚食の歴史は、ずっとこの課題への挑戦だったと言えるかもしれません。干物も、塩蔵も、なれずしも、冷凍も、全部そのためのものですから😊
7. なぜ鯛だけが特別なのでしょう
さて、ここで本題でございます。数ある魚の中で、なぜ鯛だけが「めでたい魚」とされてきたのでしょう。
理由はひとつではなく、いくつも重なっているのです。
① 名前の響き
「たい」が「めでたい」に通じる。これはよく知られた理由です。日本人は昔から言葉の響きを大事にしてまいりました。
② 色
美しい紅色。赤は魔除けの色、祝いの色とされてきました。紅白の紅でもあります。この色の魚が、ほかにどれほどあるでしょう。
③ 姿
堂々とした体つき、整った形。姿に品があるのです。尾頭付きで膳に載せたときの見栄えは、鯛に勝るものがありません。
④ 長寿
鯛は長く生きる魚です。二十年以上生きるとされ、さらに長命な例も知られています。長寿にあやかるという意味も込められてきました。
⑤ 味
そして何より、美味しい。クセがなく上品で、生でも焼いても煮ても美味しい。どんな料理にも応えてくれる懐の深さがあります。
⑥ 恵比寿様
七福神の恵比寿様は、釣竿を持ち、脇に鯛を抱えておられます。商売繁盛の神様と鯛が結びついたことで、縁起物としての地位がいっそう確かなものになりました。
⑦ 傷みにくさ
「腐っても鯛」のことわざどおり、鯛はほかの魚に比べて身が傷みにくいとされてきました。運ぶのが難しかった時代、これは大きな価値でした。
名前、色、姿、長寿、味、信仰、実用。これだけの条件がそろった魚は、ほかにございません。鯛が特別なのは、偶然ではなかったのですね🐟
8. 一尾を余さず食べる、という知恵
日本の魚食文化で、私がいちばん美しいと思うのが「一尾を余さず食べる」という考え方です。
身を刺身にする。頭は煮る、あるいは焼く。中骨やカマは潮汁に。皮は湯引きにして。白子や真子も立派な一品。
捨てるところがないのです。
鯛の、部位ごとの楽しみ
- 身 刺身、昆布〆、しゃぶしゃぶ、焼き物
- 頭(かぶと) かぶと煮、かぶと焼き、潮汁。頭まわりの身は、鯛のいちばん美味しいところと言われます
- あら(中骨・カマ) 潮汁、あら炊き、味噌汁。出汁が抜群に出ます
- 皮 湯引きにして、さっぱりと
- 骨 よく乾かして揚げると、骨せんべいに
鯛のかぶと煮は、まさにこの文化を受け継いだお品でございます。頭をじっくり煮込んで、いちばん美味しいところを余さず味わっていただく。
そして胸びれの付け根には、鯛のかたちをした骨「鯛の鯛」が入っております。昔から縁起物・お守りとされてきたもの。一尾を余さず食べる文化だからこそ、こんな小さな骨にまで名前がついたのでしょうね。
9. 今、魚を食べることがむずかしくなった理由
一万年続いてきた魚食文化ですが、近年は「魚離れ」と言われるようになりました。
なぜでしょう。味が嫌いになったわけではないと思うのです。理由はもっと現実的なところにございます。
魚が食卓から遠のく理由
- 下ごしらえが大変 うろこを取り、内臓を出し、三枚におろす。慣れていないと、なかなか手が出ません
- 台所が汚れる・においが残る これを面倒に思う方は多いです
- 骨が面倒 特に小さなお子さまがいらっしゃるご家庭では、骨を取る手間がかかります
- ごみの処理が気になる 特に夏場は
- 売っている魚が切り身ばかり 一尾の魚を見る機会が減り、さばき方を習う場面もなくなりました
- 何を買えばよいか分からない 旬も、選び方も、教わる機会がありません
つまり「魚が嫌い」なのではなく「魚が面倒」になってしまったのですね。
これは、もったいないことだと思います。一万年続いてきた食べ方が、手間という理由だけで途切れてしまうのは。
10. 一万年の続きを、今日の食卓で
明石めで鯛やのお品は、下ごしらえを済ませてお届けしております。
これは手抜きのためではございません。面倒という理由で、魚を食べる機会が減ってしまわないようにと思ってのことです。
手間をかけずに、鯛を食卓へ
- 鯛めしセット 炊飯器にセットしてスイッチを押すだけ。お子さまでも炊けます。瀬戸内に古くから伝わる郷土の味です
- 鯛のかぶと煮 電子レンジで温めるだけ。一尾を余さず食べる文化を、いちばん手軽に味わえるお品です
- 幸せの鯛しゃぶセット さっと湯にくぐらせるだけ。締めの雑炊まで、鯛の旨みを余さず
- 鯛の昆布〆 昆布とお塩だけで仕上げた一品。保存の知恵から生まれた、古くて新しい食べ方です
当店の「明石」という名は、明石の料亭で受け継がれてきた味づくりに由来いたします。魚そのものは脂のりのよい愛媛の鯛を使っております。
料亭の味づくりというのも、辿れば室町の本膳料理や、江戸の料理文化につながっているのでしょう。そう考えますと、私どもも長い歴史の端っこにいるのだなと、しみじみ思うのでございます😊
11. まとめ
この記事のポイント
- 日本の魚食は一万年以上の歴史。縄文の貝塚からは鯛の骨も見つかっています
- 弥生時代の稲作で「ごはんと魚」という日本の食の基本形ができました
- 古代は魚が税として都へ。干す・塩蔵・なれずしという保存の知恵が育ちました
- 室町には包丁式が整い、魚をさばくことが「道」に。最高位の魚が鯛でした
- 江戸時代に握り寿司・天ぷら・魚河岸が生まれ、魚食文化が花開きます
- 明治以降は「運ぶ技術」の歴史。鉄道、冷蔵、冷凍と進みました
- 鯛が特別なのは名前・色・姿・長寿・味・恵比寿様・傷みにくさが重なったから
- 日本の魚食の美しさは「一尾を余さず食べる」という知恵にあります
- 近年の魚離れは「嫌い」ではなく「面倒」。だから下ごしらえ済みのお品に意味があります
今日あなたが召し上がる鯛の一切れは、一万年前の縄文人が丸木舟で釣った鯛と、同じ魚でございます。
同じ海で、同じように育ち、同じように「めでたい」と呼ばれてきた魚。それを今も食べ続けているというのは、考えてみればすごいことではないでしょうか。
難しいことを考えなくても構いません。ただ、お箸を取るときに少しだけ「一万年の続きだな」と思っていただけたら、鯛も喜ぶような気がいたします🐟😊










女将のひとこと
女将は潮汁が大好きでございます。大きなお椀にカマごと入れて、中骨も一緒に。三つ葉は絶対に入れる派です。昆布は入れたり入れなかったり、その日の気分で。
自宅では、鯛のあらで赤出汁や味噌汁を作ることもあります。あらから出るお出汁の力は本当にすごくて、ほかに何も要らないくらいです。
「もったいない」という言葉が日本にあるのは、こういう食べ方を長く続けてきたからだと思うのです。一万年かけて育った知恵ですね🐟