明石周辺の港町文化!海とともに生きる漁師町の食の魅力
こんにちは、明石めで鯛やの女将です🐟
明石には、海沿いにいくつもの漁師町がございます。明石浦、林崎、江井ヶ島、魚住、二見——。
どの町も、海とともに暮らしてきた土地でございます。そしてそこには、よそにはない食の文化が育っております。
漁師めし、配り合う習わし、海の神さまへの信仰。「美味しいものを食べる」だけでなく、「海とどう付き合うか」という知恵が、暮らしの中に残っているのです。
この記事では、明石周辺の港町に受け継がれてきた食文化について、お話しさせてくださいませ。少し地味なお話かもしれませんが、ここに明石の食の根っこがあると思っております😊
1. 明石には、いくつもの漁師町があります
明石市は東西に細長く、南側がずっと海に面しております。
そしてその海沿いに、いくつもの漁港と漁師町が並んでおります。
明石の主な漁港
- 明石浦 明石の中心部。昼セリと活け越しで知られます
- 林崎 明石浦の西隣。古くからの漁師町です
- 江井ヶ島(えいがしま) さらに西へ。酒造の町としても知られます
- 魚住(うおずみ) 名前からして、魚の町でございます
- 二見(ふたみ) 明石の西端。江戸時代、伏見宮家へ魚を届けていた網元がいた町です
同じ明石市内でも、町によって漁のやり方も、暮らしの気風も少しずつ違います。
たこつぼ漁が盛んな町、底びき網が中心の町、海苔の養殖に力を入れている町。海との付き合い方が、町ごとに違うのでございます。
特に二見は、天明8年(1788年)に網主が伏見宮家の「魚類調進御用」を許され、裏菊紋付きの提灯を掲げて漁に出たという記録が残っております。京の御所へ、明石の魚が届いていたのですね🐟
2. 港町の一日は、早朝から始まります
漁師町の朝は、本当に早うございます。
港町の一日(漁法や季節によって異なります)
- 未明 まだ暗いうちに出漁。港に明かりが灯ります
- 早朝〜午前中 漁。明石海峡の潮を読みながら
- 午前中 帰港、水揚げ。港がいちばん賑やかな時間です
- 水揚げ後すぐ 選別。魚種と大きさごとに分けます
- 昼 セリ。明石は昼にセリをするのが特徴です
- 午後 出荷、網の手入れ、翌日の準備
- 夕方 早めの夕食。そして早めに休みます
漁師町では、生活のすべてが潮と天候に合わせて動きます。
「明日は時化(しけ)るから、出られへんな」——そういう会話が日常でございます。カレンダーより、空と海のほうが大事なのですね。
そして食事の時間も早い。夜明け前に出るのですから、夜は早く休む。朝ごはんは、お日さまが昇る前に食べることもございます😊
3.「漁師めし」という文化
港町の食文化を語るうえで、外せないのが「漁師めし」でございます。
漁師めしの特徴
- 作り方が簡単 船の上や、忙しい合間に作れること
- 力が出る 重労働ですので、しっかり食べられること
- その場にあるもので作る 獲れた魚を、その場で
- 調味料は少ない 醤油、味噌、塩。凝ったものは使いません
- そして——驚くほど美味しい
漁師めしが美味しいのには、はっきりした理由がございます。
いちばん鮮度のよい魚を、いちばんよいタイミングで食べているからでございます。
どんな名料理人でも、獲れたての魚にはかないません。鮮度は技術を超える——これは認めざるを得ないところでございます。
代表的な漁師めし
- あら汁・潮汁 売り物にならないあらを、味噌や塩で。いちばん出汁が出る部分を使っております
- たこ飯 明石ならでは。たこと米を一緒に炊き込みます
- 漬け丼 醤油に漬けた刺身を、ごはんにのせて
- なめろう 魚を味噌と薬味でたたいたもの。船の上でも作れます
- 宇和島の鯛めし 愛媛南予の漁師めし。生の鯛の刺身を卵と醤油だれに絡め、熱いごはんにかけます
こうして見ますと、漁師めしが後に郷土料理になった例が多いことに気づきます。
もとは漁師の賄いだったものが、美味しいからと広まって、やがて土地の名物になる。食文化というのは、そうやって育つのですね🐟
4. 売り物にならない魚を、どうするか
ここが、港町の食文化のいちばん面白いところだと思っております。
漁をすれば、売り物にならない魚が必ず出ます。
売り物にならない魚とは
- 傷がついたもの 網で擦れたり、ぶつかったり
- 小さすぎるもの 規格に合わない大きさ
- 数が少ない魚種 一尾や二尾では商売にならない
- 見た目の悪いもの 味には関係ないのですが
- あら、頭、骨 身を取ったあとの部分
これらを、漁師町では捨てません。
自分たちで食べるのです。そして——それがいちばん美味しかったりするのでございます。
当店の鯛のかぶと煮も、もとをたどればこの考え方から生まれたお品でございます。
鯛の頭を、わざわざ時間をかけて煮る。身のほうが食べやすいのに、あえて頭を使う。それは「捨てるのがもったいない」という気持ちが最初にあったからでございましょう。
そして何百年もかけて、「もったいない」がご馳走に変わったのでございます😊
5. 魚の棚商店街|明石の台所
明石の食を語るなら、魚の棚商店街は外せません。
読み方は「うおんたな」。明石駅のすぐ南にある、長い歴史を持つ商店街でございます。
魚の棚商店街とは
- 明石城の築城とともに始まったと伝えられる、古い商店街でございます
- 鮮魚店がずらりと並びます その日に明石で揚がった魚が並びます
- 練り物のお店 明石焼きちくわ、天ぷら(薩摩揚げ)など
- 玉子焼(明石焼き)のお店 食べ歩きにも
- 乾物・海苔のお店 あかしのりもこちらで
- 威勢のよい声 これが商店街の魅力でございます
魚の棚のよいところは、魚屋さんと会話ができることでございます。
「これ、どうやって食べたらええの?」と聞けば、ちゃんと教えてくださる。「今日はこれがええで」と勧めてくださる。
スーパーのパック売りでは、これができません。
魚の食べ方を教わる場所が、町の中にある。これは本当に贅沢なことだと思っております。「魚離れ」が進むのも、こういう場所が減ったからかもしれませんね🐟
明石にお越しの際は、ぜひ魚の棚をのぞいてみてくださいませ。明石の食を知るには、まずここからでございます。
6. 配り合うという習わし
港町には、食べ物を配り合う文化がございます。
これは本当に、この土地の暮らしを表していると思うのです。
いかなごのくぎ煮
明石や播磨一帯の、春の風物詩でございます。
- 解禁の日になると、どこの家からも甘辛い匂いが漂ってまいります
- 大鍋いっぱいに炊いて、ご近所に配る
- 遠方のご親戚や、お世話になった方へ送る
- 「今年のくぎ煮、どうやった?」という会話が、春の挨拶になります
- 家ごとに味が違い、「うちの味」があるのも面白いところです
注目していただきたいのは、これが「贈り物」ではなく「お裾分け」だということでございます。
改まって贈るのではなく、「たくさん炊いたから」と持っていく。お返しも求めない。もらった人も、別のときに何かを持ってくる。
こういう行き来が、港町の暮らしを支えてまいりました。
配り合う文化が生まれた理由
- 獲れるときは、一度にたくさん獲れる 保存のきかない時代は、分けるしかありませんでした
- 今日の豊漁は、明日の不漁かもしれない 分け合うことが、お互いの保険になります
- 海の仕事は危険と隣り合わせ 助け合いが、暮らしの前提でございました
- そして、単純に嬉しいから 美味しいものは、誰かと分けたくなるものです
日本の贈答文化の原点は「神様からの授かりものを、皆で分け合う」ことだと言われます。
港町のお裾分けは、まさにその形がそのまま残っているものだと思っております😊
7. 海の神さまと、鯛
漁師町には、海の神さまへの信仰が今も生きております。
港町に残る信仰
- 恵比寿(えびす)様 漁業の神、商売繁盛の神。釣竿を持ち、脇に鯛を抱えておられます
- 船霊(ふなだま)様 船そのものに宿る神。新造船には船霊を納める習わしがございます
- 大漁旗 豊漁を祝い、感謝を表す旗。鯛が描かれることも多いです
- 海上安全の祈願 出漁前のお参りは、今も続いております
ここで、鯛屋として申し上げたいことがございます。
恵比寿様は、鯛を抱えておられます。
七福神の中でただ一人の日本生まれの神さまとされ、漁業の神であり、商売繁盛の神。そして兵庫県西宮市の西宮神社が、えびす宮の総本社でございます。
つまりこの地域は、恵比寿信仰の本場でもあるのですね。
鯛が「めでたい魚」とされてきた理由のひとつは、間違いなくここにございます。海の神さまが抱えている魚なのですから🐟
8. 港町に残る、食の知恵
漁師町には、魚を扱う知恵がたくさん残っております。
保存の知恵
- 干す 天日に干して水分を抜く。もっとも古い方法です
- 塩蔵 塩に漬けて保存する。海辺でなければできない方法でもあります
- 昆布〆 昆布に挟んで水分を抜き、旨みを移す。保存と味の向上を両立させる技でございます
- 粕漬・味噌漬 江戸時代、明石藩が将軍家に献上していたのも鯛粕漬でした
- 佃煮・くぎ煮 甘辛く煮詰めて保存性を高めます
食べる知恵
- 一尾を余さず使う 身、頭、カマ、あら、皮、骨
- あらで出汁をとる これが港町の基本でございます
- 季節で食べ方を変える 脂ののった時季は刺身、痩せた時季は煮物や汁物に
- 寝かせる 獲れたてがいちばんとは限りません。活け越しの考え方も、ここから来ております
特に昆布〆は、よくできた技術だと思っております。
昆布に挟んで寝かせるだけで、水分が抜けて日持ちがよくなり、同時に昆布の旨みが身に移る。保存と味の向上を、ひとつの手間で両立させている。
当店の鯛の昆布〆も、この技術そのものでございます。鯛と昆布とお塩だけ。だからこそお塩加減がごまかしのきかないところになるのですが😊
9. 漁師町の言葉
港町には、独特の言葉が残っております。
海にまつわる言葉
- 時化(しけ) 海が荒れること。「明日は時化るで」
- 凪(なぎ) 風がやみ、波が穏やかになること
- うおんたな 魚の棚商店街。地元ではこう呼びます
- かぶと 魚の頭のこと。武将の兜に見立てた呼び方でございます
- あら 身を取ったあとの頭や骨。「あら」は粗末という意味ではありません
- 活け越し セリ後に魚を生簀で休ませること。明石ならではの言葉です
- 昼セリ 昼に行うセリ。これも明石の特徴でございます
面白いのは「かぶと」という呼び方でございます。
魚の頭を、武将の兜に見立てる。この感覚は、なかなか粋だと思いませんか。
ただの「頭」ではなく「かぶと」。それだけで、料理が立派なものに思えてまいります。言葉が、食べ物の格を上げているのですね🐟
10. 今、港町が抱えていること
明るい話ばかりでは、やはりいけません。
港町は今、たいへん難しい時期を迎えております。
港町の課題
- 魚が獲れなくなっている 明石鯛も、明石だこも、焼き穴子も。これがいちばん大きな問題でございます
- 海苔の「色落ち」 海の栄養が減っている影響ではないかと指摘されます
- 漁業者の減少と高齢化 跡を継ぐ人が少なくなっております
- 燃料費の高騰 船を出すだけでお金がかかります
- 魚食の減少 獲っても、食べる人が減っている
- 魚屋さんが減っている 魚の食べ方を教わる場所が、町から消えつつあります
※原因については、現在も研究と議論が続いております。
特に「魚の食べ方を教わる場所がなくなっている」ことを、私は気にしております。
かつては魚屋さんが、「これはこう食べるんやで」と教えてくださった。ご近所の年配の方が、さばき方を見せてくださった。
知識は、人から人へ渡るものでございます。渡す人がいなくなれば、そこで途切れてしまう。
魚離れというのは、「魚が嫌いになった」のではなく「魚の扱い方を知る機会がなくなった」ということなのかもしれません😊
11. 受け継がれているもの
それでも、受け継がれているものがございます。
今も残っているもの
- 昼セリと活け越し 明石の鮮度を支える仕組みは、今も続いております
- いかなごのくぎ煮 春になれば、今も町中が甘辛い匂いに包まれます
- 魚の棚商店街 威勢のよい声が、今日も響いております
- 恵比寿信仰 海の神さまへの感謝は、形を変えながらも残っております
- 一尾を余さず使う考え方 これがいちばん大事なものかもしれません
- 料理の技術 昆布〆、粕漬、あら炊き。保存と味を両立させる知恵
女将のひとこと
明石で商いをしておりますと、この土地の食文化に支えられていることを、つくづく感じます。
私どもがお作りしているお品も、もとをたどれば港町の知恵でございます。
あらで出汁をとること。頭を煮ること。昆布で〆ること。どれも私どもが考えたものではなく、この土地の人たちが長い時間をかけて育ててきたものです。
それを少しでも次に渡せたら——そう思って、お品を作り、こうして記事を書いております。
一尾を余さず、ありがたくいただく。これだけでも伝わればと思っております🐟
港町の知恵が生きているお品
- 鯛のかぶと煮 「頭を捨てない」という港町の考え方から生まれた料理。美味アワード2023グランプリをいただきました
- 鯛の昆布〆 保存と味の向上を両立させる、古くからの技。鯛と昆布とお塩だけでございます
- 幸せの鯛しゃぶセット 締めの雑炊で、出汁まで余さず。生鯛しゃぶには明石の焼き穴子を入れております
- 鯛の食べ比べセット かぶと煮・鯛めし・昆布〆。一尾のいろいろな部分を味わえます
※当店の鯛は愛媛県産でございます。「明石」は、明石の料亭で受け継がれた味づくりに由来する屋号で、魚の産地ではございません。
12. まとめ
この記事のポイント
- 明石には明石浦・林崎・江井ヶ島・魚住・二見など、いくつもの漁師町がございます
- 二見には、江戸時代に伏見宮家へ魚を届けた網元の記録が残っております
- 港町の暮らしは潮と天候に合わせて動きます
- 漁師めしが美味しいのは、いちばん鮮度のよい魚を、いちばんよいタイミングで食べているから
- 売り物にならない魚を捨てない——これが港町の食文化の根っこです
- 魚の棚商店街は明石の台所。魚の食べ方を教わる場所でもあります
- いかなごのくぎ煮を配り合う文化。お返しを求めない「お裾分け」です
- 恵比寿様は鯛を抱えておられ、えびす宮の総本社は兵庫県にございます
- 昆布〆・粕漬など、保存と味の向上を両立させる知恵が受け継がれています
- 一方で魚は獲れなくなり、魚屋さんも減っております。食べ方を教わる場が失われつつあります
港町の食文化というのは、「美味しいものを食べる」ための文化ではなかったのだと思います。
獲れたものを無駄にしない。分け合う。感謝する。——そういう、暮らしていくための知恵でございました。
そしてその知恵が、結果として美味しい料理を生んだ。あら汁も、かぶと煮も、昆布〆も、くぎ煮も。どれも「もったいない」から生まれております。
明石にお越しの際は、ぜひ魚の棚商店街をのぞいてみてくださいませ。そして魚屋さんに「これ、どうやって食べるん?」と聞いてみてください。きっと丁寧に教えてくださいますよ🐟😊










女将のひとこと
「漁師が食べているものがいちばん美味しい」——これは、よく言われることでございます。
売り物にならないから自分たちで食べる。けれど傷があるだけで、味は上物と変わらないのです。むしろ鮮度は最高ですから、美味しいに決まっております。
鯛のあらも同じでございます。身を取ったあとの頭や骨。売り物としては扱いにくい。けれど出汁の力は、身よりもずっと強い。
捨てようとしていたものが、いちばん美味しい——港町の人は、それをよく知っております🐟